八卦掌とはいかなる武術か

「八卦掌技击时不立招式」

王乡斋老师「拳道中枢」里提到“八卦掌,亦如是。初只有单双掌。


 ここでは、円を描いて回る歩法などというような八卦掌の一般論は書かない。
 今や、日本においても中国武術の情報は百花繚乱であり、一般的な知識についてはネットをサーフィンすれば簡単に見つけることができるであろうからである。そのようなことを当会として屋上屋を重ねて宣伝しようとは考えていない。そもそも八卦掌の本来がどうであったかも既にわからないのであるから、以下に述べることに対する批判もあるだろう。ただ、それは私がこれまで実際に経験したことなのである。


 私が最初に八卦掌の手ほどきを受けることになったのは、中国の総理大臣のボディガードをしていたこともある中国国内でも著名な老師であった。その弟子は世界的に著名な武術の映画にも出演していた。
 その老師が八卦掌をやってみたいと言う私に言うには、
 「八卦掌をやっても八卦掌ができるようにはならないよ。まず他の武術をやりなさい。」
ということであった。
  その時、傍らにいた弟子が、いや八卦掌を最初からやっても、できるようにはなりますよ、老師、と声をかけ、老師としばし議論になった。
  老師は最終的に、私が外国人で八卦掌をやりたいと言っているので、最初から八卦掌をやらせてみるかと言うことに決めたようだった。
 私は今、思い返すに、この老師の最初の言葉こそが、八卦掌なのだとつくづく感じる。
 ところで、台湾の某著名な八卦掌家も、八卦掌は非常に才能を要求する武術であるとしている。やはり、そこでもはじめから八卦掌を練習させることはしていないらしい。また、この人は最近は八卦掌と言う名前のつくものを単に一通り練習しただけで満足してしまっている者が多いとも言っている。
  外国人には門戸を閉ざすような古の中国、しかし、そこには、まぎれもなく、現在においてはもう存在しない文化大革命の混乱をほそぼそと生き延びてきたような古の武術家がいたのだと思う。
 八卦掌という武術自体が存在しないのかもしれない、今は私にはそう思える。おそらく、当時の老師もそういう考えだったのかもしれない。
 

 八卦掌の練習は走圏という円を描いて歩くことが基本になる。また、現在の八卦掌にはいやというほど多くの套路がある。その型というのはつまるところ、姿勢を変えて、円を歩くようなものであるが、一般の武術に比べると踊りのような動作が多く、まるで、バレーの基礎を練習しているかのようである。当時、八卦掌というものがあまり知られていなかった時代、私はえんえんと歩くだけで、武術として一体何の役にたつのかわからないバレーのような動きを繰り返させられるのに最後はほとほと嫌気がさしてしまった。
 私はこんな動きが武術として一体どう使えるのかと老師に尋ねても、ただ、「自由自在」だと答えるのみで、また、修練して、功夫を身につけなければ意味がないと答えるのみであった。
 そういうことが、老師が中国へ帰国するまで、延々と繰り返されるのみであった。、
 八卦掌には三つの段階があると言う。定架子、活架子、変架子である。老師は定架子、活架子はやさしいが、変架子は極めて難しいと言っていた。
 定架子はいわゆるよく見るような八母掌のようなきちんきちんとした型である。活架子は、歩数などに拘らず、自由自在に動くことらしかった。私はそこまでは、手取り足取りの手ほどきを受けることがことができた。
 では、変架子とは何なのか。それに対し、老師は、八卦掌は歩である。使うためには、その他太極拳の腰、形意拳の力が必要だと言った。と言っても、その門派をやる必要はない。原理を理解できれば良いのだと。
 常々、私が老師に疑問を抱いていたのは、いつも、何某かの八卦掌の本を持って来て、それを見ながら私に形を教えることだった。自分は年をとってしまったので、型を忘れてしまっているとのことだった。実は、私に老師が本を見ないで教えたのは単換掌、双換掌、順勢掌だけだった。後は私に本を見ながら教えるのだ。形は重要でない、自分は忘れてしまって、本を見ないと思い出せないと言っていたのである。
 そして、本を見ながら、これは形意八卦掌で、純粋な八卦掌ではないなと言いながらその型を教えるのである。
 私が、では本当の八卦掌はどういうものなのかと聞くと、どれも大同小異だ、気にしなくて良いと笑いながら答えるのみであった。
 また、次から次へと覚えきれないほどの新しい型をやらされ、しかも、前回覚えた型を思い出せなくても、それで良しと言うような感じであった。老師自体が前回自分の教えたことすら覚えていないこともあるくらいであった。ただ、練習の際にはひたすら何度も歩き方を矯正させられ、不十分だと言われ、足心含空などのいわゆる口訣がしつこく繰り返された。練習のほとんどは、歩き方がいけない、腰のひねりかたが足りない、それの繰り返しであった。
 八卦掌には六十四掌などの対練套路があるはずである。そのことを老師に聞くと、八八六十四は単なる易の話だと言って、私の手に触れ、さあ、動いてみろと言った。私がもたついていると、老師は、「功夫がなくては駄目だ。まだまだだ。」と言った。

 私は、このように、毎回、ただ基本的に円を描いて歩かされるだけ、次回忘れてもどうでもいいような型の練習ばかりさせられる毎日で、だんだんと老師は実は私に武術を教える気がないのではないかという疑念を抱き始めた。
 
 
 ある時、老師が故郷に帰る日がやってきた。その時、私にこう言った。
「いろいろ型をやったが、絶対に練習しなくてはいけないのは、これとこれだ。」といくつかの型を示した。
「あとは必要がない。必要なのは功夫だ。」
 私は馬鹿らしくなって、その後八卦掌を十年近く練習することなく、他の武術を練習することになった。



 他の武術の練習が進むにつれ、、良く次のように言われることがあった。「吉田さん、どうしてそんな動きを知っているんですか、それは秘伝ですよ。」
 古より言われることであるが、武術で最も重要なのは歩法である。それは、八卦掌で、徹底的に練習させられた歩法だった。
 他の武術をやると、だんだんに見えてくるのが、いろいろな武術において、共通する原理である。私が徐々にわかってきたのは、八卦掌の型は数ある武術のエッセンスを升華させたようなものであるとのことである。八卦掌の動きは私の知っている武術の中で、最もデリケートな動きである。そして、すべての動作において、円を描くことが要求される。それが何を意味するのか、私には長い年月を経てだんだんにわかってきた。老師に最初に教えられたことに隠されていた秘密が徐々に見えてきたのだ。
 丁度その頃、中国で康戈武氏による八卦掌の源流の研究が発表された。それによると、八卦掌にはもともと、套路なるものはほどんどなかったと言うのである。今、見られる型は後代に表演のために、創作されたもので本来はなかったというのである。
 八卦掌の創始者、董海川のもとには、他の武術を極めた者が入門した(帯芸投師)。そして、董海川は、各人に、一から武術を教えるのでなく、心構えみたいなものを各人ごとに授けたと言うのだ(各授一芸、因人施教)。だから、それ自体本来形のないものなのだ。
 言うなれば八卦掌は、各門派のさらに上の屋上屋みたいなものなのだ。書で言えば、草書のようなものであり、それは既に手本を離れ、各人の固有のものになっているものなのだ。だからそもそも標準がない。
 武術のまず第一の目標は敵を倒す力を得ることにある。
 だが、実はその先がある。力に頼らないで敵を倒すことである。敵の力を吸収し、自分の持てる力の何割かで対処する。これは、究極の理想の姿である。そのためには、直線でなく円の動きが必要だ。まさしく、それが八卦掌なのである。
 老師が言った。「相手の力がどんなに強くとも、こちらが変化できたら、恐れることはないのだ。」と。
 素早く回転する物体に大きな力を加えてもはじき飛ばされてしまう。八卦掌とはまさにそれである。しかし、その回転は相手に応じて変化する素早いものでなくてはならない。それが実際できるかどうかは、努力だけではどうにもならない素質に基づくもののように思える。
  言うなれば、八卦掌は、他の武術を極めた更に先にあるものであり、また、それは、そこに至れる資質を備えたもののみが到達できるある種の境地のように思えるのだ。逆に八卦掌とはそもそもそういう境地があること、自らそこへ至ろうとすることを教えることを主眼とする門派なのかもしれない。
 最初に老師が言った「八卦掌をやっても八卦掌ができるようにはならないよ。」と言う言葉がまさにここに思い起こされるのである。結局私も八卦掌以外の武術を経過して、遙か先にあるものとして八卦掌が理解できたのだ。
 また、老師は言っていた。「自分は八卦掌の練習方法は知っているが、この武術は理解するのが最も難しい。」と。
 言うなれば、ある武術を極めた者がその門派から離れて到達した境地が結果的に円を描く八卦掌になることがあるのにすぎないのであって、いくら八卦掌の套路をやったからと言って、八卦掌ができるようになるわけではないのである。直線的に相手に対するのを得意とする者はそれを極めたところで、円を描く八卦掌になることはないのだ。質実剛健な性格の者は円を描く八卦掌は向かないのかもしれないし、それ目指す必要がないのかもしれない。そういう意味で八卦掌の中でも円を描かず直線を動くのが多い派もあるのもうなずける。
 ところで、八卦掌の達人に対すると、自分の力を吸い取られ、どうして倒されたのか全くわからない、不思議な経験をする。そのようなことができた特異な人間がこれまで何人かいたということである。八卦掌はそこへ至る一つの道案内みたいなものである。すべて形は本来オーダーメイドで組み立てられる。套路はあくまで手段であって、外見上の動きには大きな意味はない。
 それは次代に容易に伝えられない、一代で終わるような性質のものであるし、もともと八卦門に入門したのは他の門派の実力者ばかりであったからこれでも良かったのだ。
 これでは、武術の門派として成立しないので、後世、八卦掌の基礎訓練として、羅漢拳や、形意拳などの練習方法が取り入れられて、多くの套路が成立したということらしいのである。すなわち、カリキュラムが作られたのだ。要するに、八卦掌の門派そのものは董海川の弟子達によって作られたと言うことである。しかし、逆にその段階でそれはレディーメードになってしまい、発展の余地が少なくなったのである。逆に八卦掌ではなくなってしまったということでもあるのだ。
 こういうことで、現代においては、八卦掌の達人は八卦門からでなく、他の門派から出てくる可能性の方が高いということである。自らの門派を飛び越えた境地に向かう者こそが八卦掌の使い手なのだ。実際、私は他門派でまさしく八卦掌と言うべき動きをする名人を見たことがある。八卦掌において形は意味をもたない。形を飛び越え、変化をすることがその本質なのだ。
 八卦掌では良く連環掌が秘伝とされる。連環掌とは基本の形を組み合わせて流れるように動く練習の仕方である。これは、なぜかと言うと、そのような動きはその老師の実戦の奥の手(絶招)であるからである。
 しかし、絶招とはその者にとっての技なのであって、本来他人が真似できるものではない。例えば、その弟子がその絶招の形を学んだとして、使えるとは限らないものである。だから、私の老師は言っていた。秘密の絶招はある。自分はかって教えてもらった。教えてやろう、正しく練習して功夫を身につけること、それが絶招なのだ、と(絶招不絶)。
 かような経緯から、私は実は原始的な八卦掌を学んだということになる。実際、現在、きちんと八卦掌を伝えているところでは、八卦掌には本来套路がないと明言している。
(参考までに、意拳の創始者である王郷斉の残した論文には、形意拳にはもともと、3つの型しかなく、八卦掌には2つの型しかなかったと記されており、他の型は後の浅学な弟子の創作にすぎないと記している。また、点穴なる秘法もこの世に存在していないと書かれている。)
 後で知ったことだが、八卦掌は当時、外国人に教えてはならないという不文律が根強くあったのだ。この当時、同じように八卦掌を学んだ日本人は多かれ少なかれ、わざと一部を隠して教えられたとのことだ。良く聞くのが、いきなり複雑な形を教えられ、お前には特別に高級なことを教えたと言われるものだった。それで、喜んだ日本人は少なくないし、逆に基本に属することを頼んでも教えてもらえなかったと言う話を聞いている。
 私の場合は、逆で表演とかでやるような華麗な動きはほとんど教えてもらえず、ひたすら、歩くだけの練習をさせられたことだ。実はこれが本来の伝統的な秘密に属することであったのである。
 ちなみに、私の老師からそういう古風なやり方で八卦掌を学んだのはどうやら私一人のようである。中国でもそういう雲を掴むような教え方は今ではなかなかできないようだ。それは現代という時代のためである。現代では、金儲けのためには真実を教えず、外見上の動きを教えて満足させた方が良いのである。老師は外国人である私には逆にきちんとカリキュラムだてて教えないかわりに、古の方法で私に教えたということのようだ。外国人にはすべてを教えないという不文律の中での、老師の良心だったと言うことのようだ。龍形掌や六十四掌などのよく見る套路もこれは実は後からできた学習用の套路にすぎないのだ。そういうものは、必要ないと老師は切り捨てたのだった。八卦掌は、言うなれば、易の教えのように、無から有を生んでゆき、無限の変化を生んでゆくのである。雲を掴むような話を現実にしていくのである。このことは、中国語では、「八卦掌技击时不立招式」と言う言い方をされている。(なお、参考までに、康戈武氏によると、結局はいくつかの動作の組み合わせにすぎないとのことではある。)
 私は、結局中国人ですら容易に習えないようなものを習ったと言うことになる。しかし、そういう伝統が現代(特にこの日本)においても生き残れるのかどうか私自身にもわからない。しかし、そこにはまぎれもなく、現在の中国でも失われつつある悠久の時の流れる古の中国文化の臭いがするのだ。八卦掌の本来はそういうものであったようだし、そういうものを生み出してきた、中国の文化の深遠さに驚嘆せざるをえない。八卦掌にしろ何にしろ、一人の人間が生み出してきたものではない。長い年月をかけて生み出されてきた歴史の産物である。
 あるいは日本の合気道なども同じものなのかもしれない。有名な合気道の達人も皆、「形は固定されたものでない。」と言っている。やはり、これも雲をつかむような話である。目に見えないものをつかまなくてはならないのだ。
 それゆえ、八卦掌は完成させるのが難しく、もし完成させれば最高峰と言われるのである。
 しかし、中国文化の偉大なところは、そこにどうすれば到達できるのか道筋をきちんと示していることだ。日本の場合は、単なる名人芸とされてしまい、次の世代伝える努力というのは皆無に近い。しかし、中国武術はそうではない。本来武術とは、もともと弱いものが身につけるものだ。強いものは武術をやる必要はないのだ。もともと、相対的に弱い人間が、強い人間に渡り会う手段なのだ。そのための技術が武術なのだ。戦乱の多い中国では生き残るために必要なものであった。そういう意味では再現性、すなわち科学性のある一つの学問のようなものだ。そして再現性があるがゆえに、自らの生命を守るためには、多くの部分が秘伝(企業秘密)とされることも多い。その結果失伝したものも少なくはないと思う。
 
 
 なお、私は十数年して老師に再び会う機会があった。既に老師は年老いて、もう武術はできなくなっていた。
 その時、老師はこう言った。
 「もう、私はお前に教えることはできない.し、その必要もない。本当に教えると言うことは、教えないと言うことなのだ。」


 八卦掌では良く派を問題にする人も多い。しかし、そんなことに意味がないのはこの文章を読めばおわかり頂けるだろう。尹派だ程派だと固定された段階で実はそれは本当は八卦掌ではないのである。そのため私も、ここで自分がもともといかなる系譜に属するかもあえてここで書かないことにする。そんなことにこだわる人には来て欲しくないと思えるからだ。中国武術はブランド品とは異なるものである。

 


   
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